sotaro-hikosaka’s blog

自転車乗ってどこまでも

暦日計算のひみつ

人類が歴史を刻み始めた時は、未だ言い伝えの域を出ない単なる忘却曲線の裾野に残る、ビッグバンを裏付ける4K背景放射の叙述性の足元にも及ばない裏付けの足らぬ単なる呟きだったが、文字の記録と暦日の概念が残された塊を繋ぎ合わせることに成功した。

狩猟民や牧畜民は繰り返される月の満ち欠けと季節を数え上げる事もしたにはしただろうが、歴史的なモノはせいぜいが父親の名前を負うか、増やした家畜の数を引き継ぐのであって、狭い土地に刻む様な長期的な暦日に関心はなかったであろう。

ただ農耕民、開拓民は、祖先の開拓地を長期に亘って維持開発し続けるが故に、年月の重さをヒトのチカラで勤勉に割る日々農耕の繰り返しに倦むことはなかった。栄養と冨の蓄積は生きるモノの本質である。

 

農耕文明の進化により時間の概念が緩やかに固まって行くが、1年が約365回の日出日没で繰り返されると正しく認識されたと記録されているのは、古代エジプト天文学的な暦日の定義とされる。ナイル川の氾濫が彼の地の豊穣を約束していたのだが、農耕においては増水の来る前にさまざまな準備が必要である。彼らは21世紀に於いてもなお全天一明るい恒星おおいぬ座αシリウスが、日の出の直前に地平から出るのを観測することで洪水の時期を察知していた。

おおよそ太陽が赤緯0度を越す点を赤経、黄経0度とする天文学的定義による春分点に近く、北半球の春が北半球亜熱帯の雨季は4月からとされる。今でこそ秋から冬の間真夜中にギラギラ輝くシリウスは、JD2000a つまり西暦2000年時点では赤経6時を越えているのだが、地球は25800年周期の歳差で春分点が周回している為5000年前の春分点は、西暦2000年時点でのおよそ双子座にあたり、ちょうどシリウスの真北にある。この事実は数千年の間に崩れたが、暦日計算の基準になりうる地球子午線の策定にシリウスを用いる習慣はローマ帝国初期のアレキサンドリアプトレマイオスが記している。プトレマイオスよりさらに200年前にロードスのヒッパルコスが歳差運動について気付き、暦日計算の基準がずれて行く事実は知られていたが、後にキリスト教世界が天文を永久不滅の神聖性と同一視することや、地動説的な事実を残す観測事実をぼやかしたプトレマイオスの記述はやがてアリストテレス的な天動説宇宙論の裏付けにしか用いられなくなる。

 

暦日計算はメソポタミアでは360という数字と結びつけられていたが、月の満ち欠けが29.5日で繰り返されているので、この数字は太陽暦とも太陰暦とも合わず、24もの数で割り切れるという整数計算の都合の良い合成数として選ばれた。

 

太陰太陰暦太陽暦の365.24日に比べ354.36日と短い為2年半毎に閏月を必要とする。実際太陰太陽暦の運用は年間行事を定める儀式に欠かせない為中国歴代王朝で専門官に観測と計算を任せる他、儀式の都合に合わせた場合もあるようである。一方で農耕民の暦とは異なる真正太陰暦は中東イスラム教のヒジュラ暦を代表とし、これは太陽と地球の位置関係には無関係に月日を数えている。よって太陽暦と月が経つに連れて確実にズレる。つまりイスラムヒジュラ暦の世界では一年が354日しかない。

彼らは日没後に爪の先のようになってみえる新月の観測を以て月の始めとした。年間の中で神聖月の入を伸ばす事なく厳格に守らせることに重きをおいたクルアーンの定義に従うとなれば、予測を旨とする天文学的な観測が意味を成さないため、イスラム天文学者達は実際の月の周期とヒジュラ暦がズレない調整法を幾つか考案した。

 

(続く)